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何事も前向きに。人生はアップデート。

生涯かけて誰かと推し続けることの意義。

特別お題「わたしの推し

 

私は熱し易く冷めやすい性格である。

 

そのため誰かにすぐ影響されてしまう反面、その熱意はあまり長続きしない。

 

ちなみに、今自分が最も推しているのはバチェラー4に出演していた黄皓(こうこう)さんである。

Amazonプライムを見て気になりだしたのだが、その態度や言動に男として、ビジネスパーソンとして、見習うべき要素がたくさんあったので同姓ながら夢中になっている。

ちなみにInstagramもちゃっかりフォローしている。

 

ただ、冒頭でお伝えしているように私は誰かを推すという行為は決して長続きしない。

なので人生かけてアイドルを追いかけたりする人がうらやましくもあり、自分はああはなれないなと感じてしまう。

 

じゃあいったいなぜ自分は推しが根付かないのか。

ひとつの考察としては、自分が推しを作る行為としてはその人を応援し続けたいというよりは、その人に追いつきたいと強く思うがゆえにある種の目標設定という要素が大きいのではないかと考える。

 

そのときそのときの自分の価値観や大切にするものに合わせて推しを変えているからこそ、結果長続きしないということになるのではないか。

ちなみに今私が推している黄皓(こうこう)さんは自分のことを「セルフラバー」と表現しており、妙にその言葉が胸に響いた。

 

私は、私自身を、生涯かけて推し続けるためのキッカケやヒントを得るために推しを作っているのかもしれない。

それゆえ、ワタシが推す人は皆それぞれ違えど客観的に自分を見たうえでしっかりと自分を愛し、褒めたたえている。

それは決してナルシストではないのだ。(これも黄皓(こうこう)さんの発言からインスパイアされている)

 

このブログの名前にも書いてあるとおり、私は日々自分自身をアップデートさせて、死ぬときにはもうこれ以上の最新バージョンはないってところまで磨き上げておくことを生きる上でのモットーとしている。

そのために、ころころを推しを変える事はむしろ当然の結果なのかもしれない。

 

と、色々書いたが最後に私が言いたいのは、きっといつかこの熱は冷めるかもしれないが、そのときまでは全力で4代目バチェラーの黄皓(こうこう)さんを推し続けたいと思う。

 

全ての左利きにエールを。

 

 

本屋に立ち寄ったときに、ふと目に止まった本があった。

 

タイトルは「すごい左利き」

 

おもわず手にとってしまっていた。

 

何を隠そうワタシ自身が「左利き」だからである。

 

30年ちかくいわゆる“サウスポー”として生きてきた自分にとっては、このタイトルは「また馬鹿にして」とつい卑屈にとってしまうものであった。

 

よく昔から周りの人は

「すごいね」

「頭とかいいんだよね」

「天才じゃん」

と漠然としたイメージをワタシに伝え、

そのたびにプレッシャーや嫌悪感を感じる自分がいた。

 

ただ少し、その本に書いてあったことは私に違う印象を与えた。

 

そこには"左利き=右脳を使って物事を捉える人"ということで、その特徴や得意なこと、不得意なことを客観的にかつ事細かに記してあった。

 

もともとは左利きをお子さんにもつ人が参考とするであろう本ではあるが、むしろ左利きとして生を受け、右利き社会に生きづらさを感じる人間が自己肯定感を高めるためにこの本を読むのをワタシはオススメしたい。

 

特に印象的だったのは、「左利きは10人に1人の選ばれた才能」という言葉だ。

 

私にとって、それまでネガティブにしか考えていなかった聞き手への想いを、一発逆転するようなパワーを持った言葉に感じた。

 

いつか私にも子供ができたとき、もしかしたら左利きとして生まれてくるかもしれない。

その時はこの本を参考書としつつ、サウスポーの先輩として勇気付けられる親でありたい。

 

 

プレゼント=現在(いま)への感謝

私は誰かに贈り物を送ることが好きだ。

 

もちろん頑張った自分へのご褒美も格別ではあるが、何よりも誕生日、記念日、日頃の感謝をつたえたいときに渡す誰かへの贈り物により一層の幸福感を感じる。

 

今までは誰かが喜んでくれることに満足感を覚えるのだと思っていたが、どうやら違うことに最近気づいたのである。

 

それは贈り物=presentの語源を紐解くところから見えてきた。

 

presentは和訳するともちろん「贈り物」という意味ではあるが、と同時に「現在」という意味も同時に含んでいる。

 

一見まったく意味の通じない2つの言葉であるが、かつてフランクリン・ルーズベルト夫人のエレノア・ルーズベルトはこう言った。

 

「昨日は過去のこと。明日は未知のもの。今日は贈り物。だから「現在」のことを「プレゼント」と呼ぶのです」

 

この格言を知った時にワタシはハッとした。

 

そうか、私は大切な人が今この瞬間を一緒に生きてくれているというある種の奇跡に対して、その人に感謝を伝えたい、その欲求を満たしたいがためにプレゼントを贈るのだ、と。

 

それまでの「感謝をしてもらうことに喜びを感じる」という動機は、どこか偽善っぽくきれいごと感が否めなかったが、しっかり自分の中では自分本意な欲求を満たすためにおこなっていることに気づき、少しばかり安心した。

 

さて、今月は妻の誕生日だが、私は今を共に暮らしてくれることの感謝を伝えるために、高級ブランド物を買うだろう。

 

「自己肯定感を上げるOUTPUT読書術」を読んで

感想を一言で言えば

「迷ったら本を読もうと強く背中を押してもらえた」である。

けれど今の自分には、なんとなくそれだけで十分だった。

 

もともとは定期読書は日課であったが、自分自身の住まいの環境が変化し、それに合わせた新しい生活を進める中で、その日課が薄れてきたように感じていた。

気がつけば、何となくSNSをザッピングする回数が増え、漫然とスマートホンをいじくる時間ばかりが膨らんでしまっていた。

(それでもヒマを埋めてくれる昨今のSNSはスゴい)

そんな中この本を読んで、改めて読書の持つ良さ、そして目的を持って本を読むことの大切さに気づかされた。

特に、タイトルにもあるアウトプットは自分自身も日頃インプットに汗をかいてしまいがちではある中で、決して背伸びしないありのままの気持ちを表現すれば良いんだとこの本から教わり、「この気持ちを忘れないでおこう」と思わずこの文章を記した次第である。

 

時刻は夜中の2時。

いつもなら「また夜更かししてしまった」と後悔してしまいそうであるが、今日はやけに心地良く眠れそうだ。

 

 

 

ゲーム音楽=ノスタルジック

今週のお題「やり込んだゲーム」

 

久しぶりの投稿。

 

たまたまゲームについて想ったことがあったので。

 

タイトルの通り、懐かしいゲームのBGMにとてつもなくノスタルジックを感じた。

 

ゲーム名は「ソニックアドベンチャー2バトル」。

ゲーム真っ盛りな小学生の私はソニックを走らせたり、ナックルズを登らせたり、チャオを育てたり…とやり込んでいた。

 

それが10年以上経って、たまたまYouTubeに上がってたプレイ動画をみたときに1番強く感じたのが、

 

「このBGM懐かしい!!!」

 

だった。

もちろん当時はプレイ画面の裏で流れている音楽なんて気にもしていなかったが、真っ先に感動を覚えたのがそれだった。

 

改めて聴くと、こんなにも疾走感があって、キャッチーで、誰からも愛されるバッグミュージカルだったのかと驚いた。

 

ゲームはそのゲーム性自体のみではなく、映像や音楽など、色々な印象をプレイする人に与えてくれる。

休日

日曜の時間はまもなくお昼の12時。

 

天気は雨。

 

美容院に行く、と一足先に出かけた妻を

 

あとから追いかけるために家を出る。

 

最寄りの駅までは歩いて10分。

 

いつもはセカセカと無心で足を動かす道も

 

今日は来た電車に乗ればいいや、と

 

気楽なものである。

 

駅で空のペットボトルを捨てたかったが、

 

あいにく玄関に置き去りにしたと気づく。

 

ほどなくして最寄り駅に到着。

 

リュックから定期券の入った財布を出そうと

 

カバンの中をのぞくと

 

捨てたかったペットボトルが2本。

 

「ナイス」と10分前の自分を褒める。

 

改札を抜けてホームの階段をのぼる。

 

いつもは会社に向かう憂鬱な登り道も

 

この日は足取りが軽い。

 

ホームの人がまばらなのも新鮮。

 

普段は座らないベンチに座ってみると

 

正面の窓の落書きに自然と目が移る。

 

取るに足らないような下ネタの嵐。

 

でもきっとこれを描いた人たちは

 

この駅なんてもう使ってはいないのだと

 

妄想を膨らますと、

 

妙にエモーショナルを感じる。

 

普段何気なく通う道も

 

自分の心にあるフィルター次第で

 

ドラマチックな場面に変わる。

 

心を豊かに保ち続けるということは

 

こういうことを言うのではないだろうか。

 

予約のキャンセルから学んだこと

それは、「おもんぱかることの大切さ」である。

 

先日、とある予約のキャンセルの電話をした。

(以下はそのやりとり)

 

(私)「すみません。先日予約した者ですが、、、キャンセルが可能かどうかご相談したくお電話しました。」

「そうですか。本日だとキャンセル料が〇〇円発生しますね。」

(私)「そうでしたか、、、実は▲▲な理由があってどうしてもいけないのでキャンセル料…(言い終わる前に)」

「あーでしたらキャンセル料はいただきませんので。それでどうされますか?いったん予約は取り消しておくのでまた落ち着いたら予約しますか?」

 

一見文字で見ると問題はなさそうだが、一本調子の説明で「淡々」という言葉がピッタリという印象だった。

 

これが事務的なやりとりを想定していれば気にはならなかったのかもしれないが、お客様へサービスを提供する上でのやりとりだと考えると少々ショックを感じた。

 

じゃあ1番何が必要だったか、それは相手のことをおもんぱかる言葉掛けだと考える。

 

最初にキャンセル料の説明からではなく、「何かございましたか?」という事情を伺うような言葉掛けがあれば、その印象は違ったように思う。

更にその事情への同調もあればなお良い。

 

私自身、現職が電話応対を駆使してサービスを提供する現場を担当しているゆえ、今回の実体験は多くのことを学んだ。

 

もちろん人によっては「そんなプライベートなことを伝える必要はない」と突っぱねられるかもしれない。

 

しかし、本当に相手に寄り添った対応をする上では決して欠かすことのできない大切なことである。