口臭は生きざま。
朝起きて、シャワーを浴びた時にお風呂場で感じた不快な臭い。
それは自分の鼻の近くから押し寄せていた。
寝起きの乾き切った自分の口から放たれる臭いである。
口元と覆い隠せば、その輪郭は鮮明に遠慮なく僕の掌の中で主張する。
あらためて自分の体内で起こっていることに失望感を覚えながらも
こんなことをポジティブな思考で捉えると思った。
「口臭には人としての生き様が現れている」と。
どれだけ歯を磨いても、ガムを噛んでも、ブレスケアをしても
臭うときは臭う。
むしろ無臭である方が、やや不自然さを感じる。
(もちろん徹底した口臭予防に取り組んでいる人を否定する気は全くない)
「お前今日も頑張ってるんだよ」と、自分の体が自分に言い聞かせてくれているような気分にもなる。
そう捉えると、満員電車のおじさんの不快な口臭もちょっとは見方が変わる(こともないか笑)
とにかく、朝起きたら歯を磨こう。
普通と決めつける異常。
【読書記録※ネタバレ注意】
「あるある、こういう人もいるよなぁ」という感想が最初に浮かんだ。
けどその時点で私もこの本の中に出てきた、主人公の友人の旦那のような「ヤバ。」と嘲笑う側の人間であることを突きつけられた感じがして、心が重たくなった。
朝井リョウの「正欲」を読んだときも似たような感情を抱いたが、多様性という言葉が当たり前になりつつも、結局は多様性を「認める側」と「認めてもらう側」という主従のような関係があって、その境界線を逸脱するほどの存在に対しては「異常」という烙印を押す。
その烙印を押されないために、そっち側の人間は必死になってその部分をひた隠して生きている。
特に日本人は周りを気にする性格が強い(かくいう私もそう)ので、長いモノに巻かれておけばオールOK!安心安心!という文化はそう容易くは無くならない。
普通=大勢の人がやっていること。その思考で物事を考えてしまう。
集団行動を得意としてきた中で致し方ないところではある。
だが、それでは大きなイノベーションも起こらなくなる。
ぜひ小さいうちからこういった本を教科書として理解を深めるような日本社会になればいいのにと思う。
食べることも生きることも、難しく、素晴らしい。
【読書記録※ネタバレ注意】
タイトル:さんかく 著者:千早茜
文庫本表紙のおいしそうなイラストと、最近読んだ本の著者でもあったことに惹かれ購入し、完読した。
本の名前からもっとドロドロした「さんかく」関係に発展するのかと思っていたが、お腹いっぱいで定食屋さんを出た時の気持ちくらい満足感に溢れていた。
出てくるご飯の情景描写が鮮明で、その美味しそうというこの本で最もキレイな部分と、登場人物がそれぞれ抱えている汚い部分との対比が美しいなと思った。
登場人物がちょっとずつ人として至らない部分を持っているのも良い。
そして何よりも彼女持ちの年下男性と、年上独身女性が一つ屋根の下で同居しているにも関わらず、やましいことはひとつもしない。ただひたすらに美味いご飯を食べる。
(下世話な話、キスくらいするもんだと思った)
でもそれが、この本全体の満足感を高めている何よりの理由だと思う。
そして最終的には、それぞれが自分の至らない部分を受け入れ、前に進む姿を感じることができる。
何か特別なことはしていない。ただその時に食べたご飯と向き合っているだけ。でもしれが実は難しく、素晴らしいということを感じた。
手軽に楽しむ家族のコミュニケーション:コーヒーフィルターで始まる夕食後のひととき
▲ ここに「買ってよかった2023」を書こう
私が買ってよかったものは、「コーヒーフィルター」である。
といっても本格的なペーパードリップをするものではなく、100均で手軽に使えるマグカップに直接はめるタイプのものである。
こいつのおかげで家族全体の習慣を変えることになったから、影響はでかい。
もともとコーヒーは好きで、ペーパードリップをするための道具一式は持っており、暇な時に豆を引いて楽しむことはやっていた。
が、「暇」がないと楽しみ以上に感じる手間にかまけてしまい、豆が悪くなるということがしばしばあった。
そんな時に100均にある簡易フィルターの存在を知り、試してみようとなったのだ。
もちろん、本格的にコーヒーを趣味としている方からすると、邪道に思われるかもしれない。
それでも、うまいコーヒーを手軽に飲む=習慣という環境を作り出すことができる魅力には叶わない(きっと簡易フィルター側もそんな使い方を望んでいると思う)
おかげで我が家の夕飯後のルーティンとして、美味しいコーヒーを飲む時間を確立させるまでになったのである。
食事の時間に加えて、より家族で会話する時間が増えたという功績も忘れてはいけない。
コーヒーは日々の生活に豊かさや高揚感を与えてくれる嗜好品であり、その楽しみ方は人それぞれであって良いと私は思う。
このワンコインで12回分あるフィルターはそんな自分の考えを強く肯定してくれる存在であり、きっとこれからもお世話になるだろう。
在宅と季節
今週のお題「急に寒いやん」
日が差し込んでも暑いと感じなくなった。
出勤をしないため、より一層世界がワープしたかと思うくらい、気温の変化に驚いている。
朝に窓を開けるともはや冬を感じる。
あらためて、在宅ワークの良し悪しについて考えてみる。
つまりは通勤時間の有用性である。
朝早く起きて、人混みに紛れながら、職場に向かう。
帰りは、夏はまだ残暑残る中、冬は真っ暗な中、自宅に帰る。
通勤時間の疎ましさからの解放との裏腹に、細やかな季節の変化を感じにくくなっている?
歩きながら通勤経路の公園に生える木は、季節に応じた変化を見せていた。
今振り返るとあの時間が100%無駄ではなかったのかもしれない。
これからは在宅ワークと季節の両立も考えていきたいと感じた。
窓を開けながら仕事をしてみようかな。
時は金なり
結局は時間の浪費が一番無駄である。
それが分かっていても、つい抗ってしまうのが人間でもある。
しかし、どれだけ割に合わない結果となることが目に見えていようが、損を被ることが確定してようが
致命的でなければ、時としてその結果を甘んじて受け入れることも必要。
そんなことを今日は強く感じた。
一見して理不尽なことに屈する、あるいは泣き寝入りをするような感情に陥ってしまうが、長い目を見れば決してそうではない。
むしろ傷がどんどん大きくなって、取り返しのつかないことになってしまっては本末転倒である。
ここで気をつけたいのが、じゃあコツコツとお金を稼ぐのはやめて、代わりにできた時間で何となくエンジョイ!ではないということである。
せっかく時間を優先させた結果、その時間さえも何の足しにもならない行為につぎ込んでしまっていては意味がない。それなら金を勝ち得たほうがマシとなる。
しっかりと目的を持って使う時間は、どんなものよりも変え難いということをきっとフランクリンさんは言いたかったと思う。
いずれにせよ、私は今「時を取るか、金を取るか」という文字通りの選択を迫られている。
本当に自分にとってなすべきことは何かをしっかりと理解した上で決断したいと思う。
ドン底の底
人が最も心にダメージを喰らうのは、人に裏切られたときである。
その信頼度が高ければ高いほど突き落とされる谷底は深くなる。
この数年間で、私はウソをつくことの罪の意識の軽さと、つかれることの悲しさを嫌というほど知った。
そして、何よりその傷が広がらぬうちに素早い決断をすることの重要さも強く思い知った。
自分が我慢すればいい。
あの少し、もう少し、そうすればきっとうまくいく。
そんなことはありえないと思っていた方が良い。
結局のところ行動しなければ事態は何も変わらないのである。
この感情をポジティブに捉えるとすれば、
この上ないドン底を今のうちに味わえて良かった。ここからは上に上がるしかない。
ここからが勝負。
